IK理論の概要
IK理論は、在野の血統研究家である故五十嵐良治氏が提唱した、《サラブレッドの競走能力の遺伝に関する法則》(その成果の一部は1984年に「週刊競馬ブック」誌上で発表された)をベースに、その遺志を継いだ故久米裕氏が日本競馬の独自性なども考慮し、評価基準を整備したサラブレッドの血統理論です。五十嵐・久米両氏の頭文字をとって現在はIK理論と呼んでいます。この理論の基本的な枠組みは以下のものです。
「サラブレッドの競走能力の遺伝は、父の血統と母の血統に、それぞれ存在する同一の祖先によってのみ行われる。したがって、これらの同一の祖先こそ、サラブレッドの競走能力を遺伝させる因子なのである」
ここでいう「父の血統と母の血統に、それぞれ存在する同一の祖先」を《クロス馬》と呼び(一般にはインブリードという言葉が使われます)、血統中のクロス馬の配置状況を詳細に検討することによって、どの祖先の影響をより強く受け継いでいるかという能力形成の仕組みを分析しようとする手法です。
①通常の5代血統表だけでなく、8代、9代まで遡ってクロス馬を分析する点
②「サラブレッドの競走能力を伝える因子が何なのか」を明確に規定している点
で独自性のある血統理論となっています。
IK理論の基本ルール
クロス馬指定のルール
①父方と母方の双方に共通して存在すること
クロス馬とは「父方と母方の双方に共通して存在する祖先」のことなので、父方か母方のどちら片方だけに存在する場合、IK理論ではそれをクロス馬としては扱いません。<例1>
②異なる馬の父親(母親)として存在すること
ここでディープインパクトの9代クロスの分析表を見てみましょう。上半分は父のサンデーサイレンスの血統、下半分は母のウインドインハーヘアの血統です。1番左の枠が1代目と2代目。そして右に向かって3代目〜9代目までの祖先を表しています。表中に散在している様々な形のマークがクロス馬を示すマークです(マークの形には特に意味がありません)。ディープインパクトの血統の中ではAlmahmoud(アルマームード)が父方の4代目と母方の6代目にあります。この馬は父方、母方に共通する祖先ですのでクロス馬です。しかし、Almahmoudがクロス馬だからといって、Almahmoudの父Mahmoud(マームード)や祖父Blenheim(ブレニム)なども自動的にクロス馬になるわけではありません。Almahmoudの父のMahmoudはAlmahmoud以外の馬の父親として相手側に存在する場合のみクロス馬になるというのがIK理論のルールです。ディープインパクトの場合には
・Almahmoudの父としてのMahmoud
・MahmoudessやMr.Troubleの父としてのMahmoud
が存在するためにMahmoudもクロス馬となりマークが付いています。
③全兄弟は同一馬
父も母も同じ全兄弟の馬をIK理論では同一の血(同一馬)として扱います。ディープインパクトの父の父内5代目のPharamond(ファラモンド)と母の父内7代目のSickle(シックル)は共に父がPhalaris(ファラリス)で母がSelene(セレーネ)なので同一の馬として扱い同じマークを付けています。
クロス馬の形態と効果
①系列ぐるみのクロス
ディープインパクトの分析表では、Almahmoudの血はその父系がMahmoud〜Blenheim〜Blandford(ブランドフォード)というように、何代も連続してクロスになっています。このような形態をAlmahmoudの《系列ぐるみのクロス》と呼びます。一方、父側の4代目にあるTurn-to(ターントゥ)はその父Royal Charger(ロイヤルチャージャー)がクロスになりませんでしたが、その父Nearco(ネアルコ)から上の代は再び連続してクロスしています。このように1世代開いてクロスが続く場合には「Turn-toの《中間断絶クロス》」と呼びます。また、クロス馬とクロス馬の間が2世代以上開く場合には「○○○の《単一クロス》」と呼びます。遺伝の効果、影響力の強弱という点で比較すると以下のようになります。
系列ぐるみのクロス>中間断絶クロス>単一クロス
②血の相性
IK理論では《血の相性》という表現をよく使います。これは種牡馬と繁殖牝馬の関係、種牡馬とBMS(ブルードメアサイヤー=母の父)との関係、あるいは主導勢力(一番影響力の強いクロス馬)とその他のクロス馬の関係などで使用します。ある血統構成と別の血統構成の間で、相手の長所・特徴を生かすような関係、相手の短所・欠点を補うような関係があれば「《血の相性》がよい」と表現します。血統の話題になると。「種牡馬○○の産駒だから長距離血統」だとか「種牡馬○○の仔は成長力がある」といった父の特徴で全部の産駒の傾向を語ることがありますが、IK理論では「サラブレッドの競走能力を伝える因子はクロス馬のみである」という立場に立っているので、「父が○○だから」という判断はしません。あくまで父と母の血統構成の中でどのような馬がクロス馬となっているかを調べ、その《血の相性》を分析することによって、その種牡馬産駒の全体的な傾向ではなく、個々の産駒が持つ固有の能力を把握するのです。
名血になるための8条件
クロス馬をチェックするにあたりIK理論では8つのチェック項目を設けています。それらの8条件はそれぞれ単独で判断するものではなく、相互に関連しているが、8項目全てに優れていれば当然その馬は名馬ということになります。各項目は
◎=特にいい
○=良い
□=やや良い(普通)
△=やや悪い
×=悪い
と5段階のマークで評価されます。
①主導勢力
1頭の馬の血統表には数十種類のクロス馬が発生しますが、その中に全体のクロス馬をリードする《主導勢力》が存在することが必要とされます。クロス馬のある位置(世代)、や存在する数、あるいは《系列ぐるみ》か《中間断絶》《単一》かということを分析し、影響力の強いクロス馬が明確で、その血が全体の中で多数派の属し、さらに血の集合力(後述)が備わっていることが最も好ましいとされます。明確であってもその血が少数派であったり、そのクロス馬自体が質の低い血(後述)であったり、父母間で位置(世代)に問題があったりした場合は減点材料になります。また、主導勢力が複数あって均衡している場合もマイナスになる場合があります。
ディープインパクトの主導勢力はAlmahmoudの系列ぐるみのクロスで、非常に明確です(○評価)
②位置・配置
クロス馬が正常な効果を発揮するためには、父と母の血統の中でほぼ同じ世代に存在することが必要です。父と母の中で位置が大きく食い違っている場合(例えば父の4代目と母の7代目にクロス馬があるなど)は《世代ズレ》と表現してその血が有効に遺伝効果を発揮しているかどうか判断を保留します。
ディープインパクトは主導勢力のAlmahmoudが父側の6代目、母側の7代目に二つあり、5,6代目の近い世代に余計なクロスがなくシンプルです。但し、配置という点では父サンデーサイレンスのスピード源となっていたMan o’ Warが母側には8代目に1つしかないことなどがあり少し割り引く要因となっています(□評価)
③結合度
遺伝行為がスムーズに行われるためには、影響力の強いクロス馬同士の間が、共通する祖先によって数世代以内で直接、あるいは間接に繋がっている必要があります。特に主導勢力は他のクロス馬と緊密な結合関係にあることが重要になります。
ディープインパクトは父方6,7代目と母方6、7代目にあるHyperionと主導勢力のAlmahmoudがGainsborough(ゲインズボロー)という共通のクロス馬により結合し多数派を形成しているのに加え、《中間断絶クロス》のTurn-toもGainsboroughやMumtaz Mahal(マムタズマハル)によって、PharamondはCantabury Pilgrim(カンタベリーピルグリム)によって、Sir Gallahad(サーギャラハッド)はSpearmint(スペアミント)によって《主導勢力》のAlmahmoudと結合しています。(○評価)
④弱点・欠陥
分析表の5代目の位置には合計32頭の馬がいます。その32頭の6代目以前の祖先をたどった時、6〜9代目のところに1頭のクロス馬も存在しない場合、そこはクロス馬の能力伝達を阻害する《欠陥》とみなします。またクロス馬が存在しても9代目にしかなく、6〜8代目には存在しない場合を《弱点》と見なします。また、直接的な弱点や欠陥ではありませんが、父(母)のスピードもしくはスタミナのキーホースだった馬がクロスしていない場合も減点材料になります。
ディープインパクトは父内のキーホースであるBlack Toneyと母内のキーホースであるHurry Onがクロスしていないことがわずかに惜しまれますが、弱点・欠陥を生じるまでには至っていません(□評価)
⑤影響度バランス
2代目に位置する祖父母4頭を基準にして、それぞれからどのような強さとバランスで影響を受けているかを、簡潔に表現したものが《影響度バランス》です。4頭の祖父母内のクロス馬で6代目を1点、5代目を2点・・2代目は5点としてそれぞれで集計します。祖父母の所に○囲みで表示されている数字がその集計結果です。この数字の大小は能力の高低を表すものではなく、あくまでどのような影響度のバランスを持っているかを示しています。五十嵐良治氏は世界の名馬の血統構成を分析し、ほぼ全ての名馬が次の8つの影響度バランスのいずれかに当てはまり、中でも2、5、8のパターンで活躍馬が多く登場することを発見しました。
1)Tantieme-Caracalla型
影響度の数字が全て低い簡素な異系交配の型。
(タマモクロス③②⑤⑦、メジロマックイーン④③⑤⑤など)
2)Ribot-Sea Bird型
祖父母4頭のうち1頭だけの影響が特に強く、他の3頭の影響力がほぼ均衡している形態。同じパターンでもSassafras型が近親配合なのに対してこの型は異系交配の場合。
(テンポイント⑤⑤⑤⑧、トウカイテイオー⑪⑥⑤⑥)
3)Match Ⅲ型
祖父母4頭の影響度がすべて極端に少ない型。
(日本には活躍馬がほとんどいないパターン)
4)Gurundy型
父方、あるいは母方のどちらかの影響が支配的な型。
(シンザン⑧⑪④④、マヤノトップガン⑦⑥⑫⑩)
5)Sasafras型
祖父母4頭のうち1頭の影響が特に強く、他の3頭の影響力がほぼ均衡している近親交配。
(タケホープ⑨②④②、マックスビューティ⑭⑥⑦⑥)
6)Nijinsky型
父方の祖父母のどちらか一方と、母方の祖父母のどちらか一方の影響力が強い型。
(マルゼンスキー②⑬⑱②、サクラスターオー④⑧⑪⑥)
7)Three Troikas型
祖父母4頭のうち1頭だけの影響が特に低く、他の3頭の影響力がほぼ均衡している型。
(シンボリルドルフ⑧⑦①⑧、マーベラスクラウン⑦⑧⑨③)
8)Vaguely Noble-Alleged型
父方の祖父母と、母方の祖父母の影響力がほぼ均衡しているパターン。
(タニノムーティエ④⑥⑧②、オグリキャップ④⑨⑧⑤)
ディープインパクトの影響度数字⑮②④②は見事な2)Ribot-Sea Bird型です(○評価)
⑥種類・数
弱点や欠点を生ずるほどクロス馬の数が少ないと問題ですが、かといって、クロス馬はただ数が多くなれば良いというものではありません。むしろ、種類は少なく、総数は必要にして十分あり、血統全体を過不足なく覆っているというのが理想です。種類が少ないと、シンプルでまとまりやすく、反応も早くなります。
ディープインパクトのクロス馬の種類は55で、平均もしくはやや少ないレベルです(□評価)。
⑦質・傾向
クロス馬はその位置や数、形態だけでなく、そのクロス馬自身の《質》(戦績・血統構成・特徴)も問題になります。当然のことながらクロス馬自身の質が高い方が、子孫の能力形成にとってよい影響を与えます。主導勢力や影響度の強い部分にあるクロス馬の質はより重要です。
次に血の《傾向》(血の《流れ》、血の《傾向》という表現も同義)についてですが、現代のスピード競馬では、スタミナを重視するヨーロッパ系の血だけで構成された馬では、時流に乗り遅れることがあり、アメリカのスピード系の血とヨーロッパ系のスタミナの血が上手に結合を果たし、一体となっていることが理想とされます。
ディープインパクトは主導のAlmahmoudの血の質にやや問題を残すものの、MahmoudやHyperionなどは自身が優秀な血統構成を持つ質の高い馬です。更に祖母内に配されたBusted、Queen’s Hussarなども非常に質が高く、それらのキーホースがほどよくクロス馬になっていて、ディープインパクトの能力形成に役立っています。傾向面では父サンデーサイレンスとBMS=Alzao(アルザオ)がヨーロッパ・アメリカ混在型、祖母Burghclere(バラクレア)がヨーロッパ主体の血統で、全体をGainsboroughが核としてまとめているので父母の傾向は合っています。(○評価)
⑧スピード・スタミナ
サラブレッドの競走能力の基本は「スタミナに裏付けられたスピード」です。したがってIK理論上、優秀な競走馬は質の高いスピードの血と質の高いスタミナの血がバランスよく配置されていなくてはなりません。しっかりとしたスタミナの核がない馬は、底力を欠いたり、成長力が乏しくなる傾向がありますし、逆にスピードの血が不足すると、特に日本の馬場では勝ちあがるのに苦労する傾向があります。
現在の日本競馬はスピードが偏重される傾向がありますが、もともと現在の競走馬の血統を構成している血は、特にヨーロッパでは、クラシックディスタンス(芝2400m)を走りぬくスピード・スタミナを基準に淘汰されてきたものです。そのため、IK理論では「良質な血」という時、スタミナの要素を重視して評価します。
ディープインパクトはヨーロッパのスタミナの血に裏付けられたスピードを持っています。(○評価)
8項目のチェックから導かれる総合評価
IK理論では前項の8項目を子細に分析し、競走馬の能力を推定し、ランク付けをしていきます。これまでIK理論が評価されてきた大きな要因の一つは、過去20年以上の期間に渡って、JRAで勝ち上がった全ての馬を分析し、評価し、公表してきたことです。近年はクラブ馬の隆盛に伴い、募集時に簡易評価を下すこともしています。
血筋を「紹介」したり、血統を「語る」ことは容易でも、個々の馬の競走能力を、血統構成だけで判定・評価することはかなり困難です。現実の競馬は、競走馬が生き物である以上、育成、調教、レース選択、騎手の騎乗技術の差、故障やトラブルなど様々な要素が絡み合い、血統評価通りの成績に終わらないこともままあるからです。しかし、そうであっても、個々の馬の本来の血統レベルを見極め、競走能力のランクはこのぐらいの位置にあると推定することは、まさに血統分析の仕事の本質と言えます。これなしには、いつまでたっても「結果に対する後追いの理由付け」しかできないでしょう。ましてはよりよい競走馬生産に貢献することなどは望むべきもありません。IK理論では一度正式に下した評価は、当該馬がその後活躍をしようがしまいが翻すことはほとんどありません。「結果論を言わない血統理論」。それがIK理論なのです。
では具体的にIK理論のランク付けの仕組みを解説してみましょう。前述したクロス馬チェック8項目の個々の評価を
◎=5点 ○=4点 □=3点 △=2点 ×=1点
と数値化していき、全て足した和を3倍します(3倍することに特に重要性はなく、評価を100前後の数字で表す為のものです)。
110点前後=3A級
100点前後=2A級
90点前後=1A級
80点前後=3B級
70点前後=2B級
60点前後=1B級
50点前後=C級
とランク付けします。
ディープインパクトの8項目評価は
①主導勢力○ ②位置・配置□ ③結合度○ ④弱点・欠陥□ ⑤影響度バランス○ ⑥種類・数□ ⑦質・傾向○ ⑧スピード・スタミナ○
ですので
4+3+4+3+4+3+4+4=29
となります。3倍すると87点で90点前後となり1A級と評価されます。
近年は種牡馬と繁殖牝馬の偏りから評価が2Bに集中し、2A、3A級の日本馬は登場しないこともあり、ディープインパクトは最上級の評価と言えます。
付加的な評価
①日本適性
日本の芝コースは海外の(特にヨーロッパの)それとは異なり、非常に硬く、その分だけ非常にスピードが出やすいという特徴を持っています。そのため、スタミナの要求度が低く、結果として血統もスピード偏重に陥り、良質なスタミナをあまり必要としなくなっています。そのことは配合面にもはっきりと表れ、海外ではほとんど通用しませんが、日本でだけなら活躍できるという血統構成の特殊なパターンができています。日本競馬への適性という面では、血の質は低いがスピードを豊富に持つタイプや、欠陥を抱えているためクロス馬が少なかったり、近親度が強いために早熟タイプになっている馬が有利に働きます。IK理論ではこのような血統構成を《日本適性》としてランク付けとは別に付加的に評価します。
前述したようにディープインパクトは日本の高速馬場だけでなく、ヨーロッパの良質なスタミナも持っていますので評価は□です。
②成長力
日本適性と相反するケースの多い項目ですが、弱点や欠陥を抱えた馬や、しっかりしたスタミナの核のない馬は、3歳前半までは通用しても、秋以降の成長力に大きな期待が持てません。そういう馬が若い時期に活躍することがあることも日本の馬場の特性と言えます。
ディープインパクトは主導勢力がAlmahmoudの系列ぐるみで日本向きなスピードを確保しつつ、良質なスタミナの核を持っていますので2歳時から活躍しても、決して早熟馬というわけではありません。(□評価)
以上のような血統分析により、IK理論では2004年12月、ディープインパクトが新馬戦を勝ち上がった時点で以下のような血統評価を下しました。