リュウフォーレル
父:ヒンドスタン 母:フォーレル 母の父:Fairford
1959年生/牡/IK評価:3B級
主な勝ち鞍:天皇賞・秋、有馬記念、宝塚記念
リュウフォーレルのデビューは、1961(昭和36)年12月、初戦は2着で、2戦目の新馬戦で勝ち上がる。3歳クラシック戦線は、皐月賞がヤマノオー(父ハクリョウ)の8着、ダービーがフェアーウィン(父ゲイタイム)の8着と、目立たぬ存在であった。頭角を現し始めたのは、3歳秋の神戸杯を制した頃からで、続く京都記念が2着。そして、菊花賞では8番人気の低評価をくつがえし、ヒロキミ(父トサミドリ)の2着と善戦。古馬になり、日経新春杯を制すると、天皇賞・春がコレヒサ(父アドミラルバード)の2着、そして宝塚記念を制したことで、ようやく一流馬の仲間入りを果たす。
秋の天皇賞では、堂々の1番人気に応えて、3,200mを3分22秒7のレコードで優勝、暮れの有馬記念を迎える。この年の3歳クラシック戦線は、メイズイがダービーで2分30秒の壁を破り、2分28秒7で、2着馬(グレートヨルカ)に7馬身の差をつけて優勝しており、有馬記念ではそのメイズイが1番人気。リュウフォーレルは2番人気に甘んじていた。しかし、レースでは、逃げ込みをはかるメイズイを終始射程圏内に入れてレースを進めたリュウフォーレルが、ゴール前できっちり差しきり、1馬身1/2差で優勝。関西馬として初のグランプリ・ホースの栄誉を得るとともに、この年の年度代表馬にも選出された。
明けて5歳になったリュウフォーレルは、62㎏以上の斤量を背負わされても、6戦4勝と安定した走りを見せていた。そして、11月には、アメリカのワシントンDCに挑戦することになった。しかし、レースは、戦前から脚部不安が伝えられ、8頭立ての8着に敗れ(優勝Kelso)、日本に帰国してから競走生活を終えている。
《競走成績》
2歳~5歳時に走り、36戦15勝。主な勝ち鞍は、天皇賞・秋(芝3200m)、有馬記念(芝2600m)、宝塚記念(芝2000m)、神戸杯(芝2000m)、日経新春杯(芝2400m)、鳴尾記念(芝2400m)、京都記念(芝2000m)など。4歳時=年度代表馬。
《種牡馬成績》
種牡馬としては、それほど期待されず、苫小牧、宮城で繋養されたが、年10頭以下の種付け。それでも、グレートライナーが牝馬でオープン入りし、クイーンC2着の成績を残している。他には、ヒロノニシキ(4勝)、リュウハート(3勝、4歳牝馬S)など。
父ヒンドスタンは、1946年英国産で、戦績は6戦2勝。そのうちの1勝が愛ダービー。日本には、1955年にブッフラー(ダービー馬コダマの父)とともに輸入された。産駒には、当リュウフォーレルの他、五冠馬シンザン、ハクショウ(ダービー、朝日杯3歳S)、ダイコーター(菊花賞)、ワイルドモア(皐月賞、弥生賞、スプリングS)、アサカオー(菊花賞、弥生賞)、シンツバメ(皐月賞)、スギヒメ(桜花賞)、オーハヤブサ(オークス)、ケンポウ(桜花賞)、ヤマニンモアー(天皇賞・春)、ヒカルポーラ(天皇賞・春)など、短・中・長距離に対応するあらゆるタイプのクラシック・ウィナーを輩出した。1961年~65年、67年~68年の計7回、リーディングサイアーの座につき、日本競馬の発展に多大な貢献を果たしてきた。
ヒンドスタン自身の血統構成は、その戦績が示す通り、つねに安定した力を発揮できるだけのバランスのよさはないが、St.Simonの系列ぐるみを主導に、Gallinule内Stockwell、Newminster、Pocahontasを中心とした結合のよさは長所といえる。この点が、ここ一番での底力の発揮に結びついたと推測できる。同馬の血統構成を、8項目で評価すると、以下のようになる。
①=○、②=△、③=○、④=□、⑤=△、⑥=○、⑦=□、⑧=□
総合評価=3B級 距離適性=9~12F
また、ヒンドスタンの種牡馬としての成功は、必要最低限のSt.Simonが適所に配置されたこと、潜在的なスピード源としてNewminster(19個)、Stockwell(28個)を備えていたこと。そして、当時日本に浸透していたGainsboroughとBlandfordを4代目に配し、どちらかを主導とした際に、まとめやすい構造を持ち得たことなどがあげられる。
母フォーレルは、持込馬ハードウィン(父Hard Sauce)の輸入とともに、日本に導入された繁殖牝馬である。フォーレル自身は、やや近親度が強く、危険性の高い内容だが、Polymelusを主導に、Sundridgeがアシストするスピードタイプの配合馬で、英国で2勝をあげている。その母系はBlack Rayに通じ、ここからはMill ReefやSwapsといった世界的な名馬が生まれている。
こうした両親の間に生まれたリュウフォーレルだが、同馬の血統は、まず5代以内ではBayardoの5×5・5が母系Galiciaを通じて系列ぐるみを形成している。Bayardoは、イギリスで25戦22勝。アスコットゴールドCやセントレジャーを制した名馬で、スタミナによさを持ち、リュウフォーレルの場合にも、そのスタミナが能力形成の基礎となっている。
次いでChaucerの5×5、Sundridgeの5×6・6・6、Cylleneの7×6・6・6・6・6・7などのクロスがある。ChaucerはGalopinを通じ、SundridgeはNewminster、CylleneはIsonomyで、それぞれ主導と結合を果たしている。
当時は、Sundridge(ジュライC3連覇)が、競走馬のスピード源として重要な役割を担っていたが、リュウフォーレルの配合では、この血がきっちりと能力参加を果たし、能力的にも強い影響力を示していた。3200mの天皇賞をレコードで制し、有馬記念で快速馬メイズイをとらえた脚などは、この血の影響によるものと見ていいだろう。
ただし、影響の強いBMS内にBayardoの血がないことや、母内で多数派となるCylleneの血が父内では7代目に1つしかないこと、さらにChaucerとBayardoの強さが拮抗して血の集合箇所がわかりにくくなったことなどが、リュウフォーレルの血統のマイナス要素で、ここが3歳の春時点や瞬発力勝負におけるツメの甘さを生んだ要因と考えられる。以上を8項目評価に照らすと、以下のようになる。
①=□、②=□、③=○、④=○、⑤=□、⑥=○、⑦=□、⑧=○
総合評価=3B級 距離適性=9~12F
主導や血の傾向の部分でマイナス点があるものの、弱点・欠陥の派生はなく、血の結合もしっかりした血統構成で、当時不足していたスピード要素も備わり、なかなか妙味のある配合形態をもった馬であった。もしも、脚元がパンとして、きっちりと仕上げられていたならば、ワシントンDCでも、上位に食い込めるだけの血統構成レベルを持った馬、ということは付け加えたおきたい。
引退して種牡馬となったリュウフォーレルだが、当時は自身の父であるヒンドスタンを始め、ソロナウェー、ガーサント、ネヴァービート、チャイナロック、パーソロンなど、輸入種牡馬が急速に増え始め、国産馬への関心が薄らいでゆく時代であった。そうした時代背景から、種付けの機会、肌馬にもめぐまれず、これという産駒を出すにはいたらなかった。
しかし、リュウフォーレル自身の血の流れや、スピード・スタミナのキーホースSundridge、Bayardoらを押さえればオープン馬をつくることも可能であり、グレートライナーという牝馬は、それを証明した存在だったといえよう。
グレートライナーの同期は、桜花賞がナスノカオリ、オークスがカネヒムロと、ともにパーソロン産駒が制し、パーソロン・ブレイクの世代であった。グレートライナーの血統構成は、Sun Warshipの5×5、Gainsboroughの5×6のリードで、Solarioを強調し、Spearmintのアシストを得て、牝馬としては重厚な内容を示していた。いわゆる牝馬らしくないことが、その存在を地味にしてしまったのだろう。しかし、同年代のオークス馬カネヒムロあたりと比較しても遜色のない配合馬であったことは間違いない。同馬の8項目評価は以下の通り。
①=□、②=□、③=□、④=○、⑤=○、⑥=△、⑦=□、⑧=○
総合評価=3B級 距離適性=9~12F
リュウフォーレルの時代は、そのつぎの世代にメイズイが出現しているように、日本の競馬にスピードの血が導入され始める初期段階と位置づけすべき時期といえるだろう。総体的に見れば、まだまだスタミナ優位の時代であることは間違いなく、同期で菊花賞を制したヒロキミの血統構成などは、まさにスタミナのかたまりといった配合である。同馬の主導はSt.Simonで、母方からのアシストもGallinuleやSainfoin(=Sierra)など、すべてスタミナ系といった内容である。8項目評価は以下のようになる。
①=○、②=□、③=□、④=○、⑤=□、⑥=□、⑦=○、⑧=□
総合評価=3B級 距離適性=10~15F
スピード勢力が弱いことから、菊花賞以外の重賞では、2~3着と、勝ちきれない馬であった。しかし、母フェローニの持つスタミナの質はかなり高いもので、Admiral Drake、Felstead、Mieuxceなどは、現代でも世界の競走馬のスタミナ源として、脈々と根づいている血である。前述したように、リュウフォーレルの母系Black Rayも世界の主流であり、これらの血は日本にも40年ほど前から導入されてきたことは記憶にとどめておきたい。
最後に、リュウフォーレルが出走したワシントンDCで優勝したKelsoについて、簡単に触れておきたい。同馬は、2歳から9歳まで走り、63戦29勝。ジョッキークラブ・ゴールドC(16F)を5連覇。年度代表馬5回。ワシントンDCは、4歳から6歳までが2着(3回)。そしてリュウフォーレルが出走したときは7歳で優勝。それも芝12Fを2分23秒8の世界レコードという快挙を成し遂げている。まさに怪物といえる。
父Your Hostは23戦13勝のマイラーで、日本ではトウショウボーイのBMSとしてなじみ深い。母の父Count Fleetはケンタッキーダービー馬だが、母はステークス競走の勝ち鞍はなく、Kelsoの兄弟にもステークス・ウィナーはいない。
Kelsoの血統は、Rock Sand(英三冠馬)の5×5・6の系列ぐるみを主導に、St.FrusquinとPersimmonがSt.Simonで結合。Bend OrがStockwellによって結合を果たし、スタミナを供給。The TetrarchがBend Orと結合、SundridgeがSierra(=Sainfoin)によって結合し、スピードを供給している。弱点・欠陥もなく、クロス馬の種類は41とじつにシンプルにまとめられている。Kelsoの8項目評価は以下の通り。
①=◎、②=○、③=◎、④=○、⑤=◎、⑥=○、⑦=○、⑧=◎
総合評価=3A級 距離適性=8~15F
リュウフォーレルの配合も決して悪いわけではないが、当時としては、明らかに「次元の異なる」といった表現がふさわしい内容。ワシントンDCで、リュウフォーレルがつけられた着差30馬身ということも、いたしかたないことに思われる。まさしく、「これぞ名馬」という血統構成である。