カツトップエース
父:イエローゴッド 母:アコニット 母の父:Acropolis
1978年生/牡/IK評価:3B級
主な勝ち鞍:ダービー、皐月賞
カツトップエースのデビューは、1980年7月の札幌競馬ダート1000mの新馬戦で、結果は2着だった。初勝利は、折り返しの同条件の新馬戦。その後、5戦目になる特別戦、東京芝1,400mで2勝目をあげると、平場オープンを叩き(5頭立ての4着)、暮れの朝日杯3歳Sに駒を進める。しかし、それまでの成績から、ほとんど注目されず、人気も14頭立ての13番人気。そして結果も、牝馬テンモンの10着と惨敗。
年が明けて、休養後初戦になる特別戦では、9番人気で4着(1着はタクラマカン)と健闘したものの、父が短距離馬のイエローゴッドということで、距離が延びた本番の皐月賞では、出番なしと見限られ、17頭立ての16番人気と、まったくの人気薄だった。このレースでは、東京4歳Sと弥生賞を連覇していたトドロキヒホウが、圧倒的人気に支持された。2番人気は、公営から転厩してきたスティード。スプリングSを制したサンエイソロンは、脚部不安のため、直前に出走取消。同レース2着のホクトオウショウが3番人気に。
レースは、スローな流れをみこしたカツトップエースが、2コーナーで先頭に立つと、そのままマイペースで逃げて、ロングミラー(11番人気)の追い込みを首差抑えてゴールし、皐月賞史上、もっとも人気薄の優勝馬となった。最近では、ノーリーズンが15番人気で優勝しているが、カツトップエースの「記録」は、現在でも生きている。
また、カツトップエースの勝利は、その勝ちタイムの遅さ(2分4秒9)から、誰もがそれをフロック視し、レース評も「史上最低の皐月賞」という声が多かった。しかし、次走のNHK杯では、皐月賞の有力候補だったサンエイソロンの2着と好走したので、カツトップエースの力量が、ある程度見直されることになった。そして、本番のダービーでは、サンエイソロン、ロングミラーに続く3番人気と、支持を集めた。
このときのダービーは28頭立てのフルゲート。キタノコマヨシの先導でレースが進み、1000m通過タイムは60秒。カツトップエースは好位を追走し、向正面では3番手をキープしていた。直線に向くと、早めに先頭に立ち、鞍上大崎騎手の得意のパターンに持ち込み、持ち前の粘りを発揮してサンエイソロンの急襲を抑えて優勝。第48代のダービー馬に輝くと同時に、あれよあれよという間に「二冠」を達成してしまった。しかし、その後のカツトップエースは、屈腱炎を発症し、三冠最後の菊花賞に駒を進めることはできなかった。
《競走成績》
2~3歳まで走り、11戦戦4勝。主な勝ち鞍は、ダービー(芝2400m)、皐月賞(芝2000m)
《種牡馬成績》
1984年から供用され、主な産駒は、クモギリマル(JRA5勝)、カツエイコウエース(JRA3勝)。1990年に韓国に輸出され、91年に死亡。
父イエローゴッドは英国産で、12戦5勝。ジムクラックS(6F)など、6~7Fの距離で実績を残したスプリンターだが、英2000ギニーでは、Nijinskyの2着と健闘している。また、種牡馬として、2000ギニー馬のNebbiolo、愛2000ギニー馬Panpapaulらを出し、1976年の英愛3歳リーディングサイアーになっている。このときには、すでに日本に輸出されており、本国では日本への放出が悔やまれていた。
イエローゴッド自身は、Pharosの4×4を主導に、Lady Josephine、Ormeといったスピード要素を前面に出し、Fair Trialを強調した形態。The Tetrarchのクロスはないものの、実績通り、スピードという個性を持ち合わせた血統構成であった。ただし、欧州の馬場を克服できるだけのスタミナが不足していたことは否めず、それが一流馬との差になっていた。
イエローゴッドの血統構成を、8項目で評価すると以下のようになる。
①=○、②=□、③=○、④=□、⑤=□、⑥=□、⑦=□、⑧=□
総合評価=3B級 距離適性=6~8F
母アコニットは英国産で、2戦0勝。繁殖としても、本国および日本に輸入後も、これといった産駒には恵まれていなかった。自身は、英長距離三冠の名ステイヤーAlycidonの全弟Acropolisを父に持ち、Hyperionの3×3を呼び水に、Chaucerの主導。スピード勢力が不足していることは否めないが、父系のイメージ通りのステイヤー資質は備わり、クロス馬の配置状態も良好で、なかなかしっかりした血統構成の持ち主であった。それこそ、ディープインパクトの母系を構成している血、すなわちDonatelloやQueen of the Meadow(Vilmorinの母)の名が見られ、血の質も高い。こうした父母の間に生れたのが、カツトップエースである。
カツトップエースの血統では、5代以内同士でクロスしている血は、Fairwayの5・5×4と、Blenheimの5×4で、両者はCanterbury Pilgrim、St.Simonで結合を果たしている。Fairwayは、途中Polymelusが断絶しているが、Phalarisの6・6・6×5を伴うことで、影響力を強め、他系統との比較からも、カツトップエースの主導勢力となっている。
母アコニットは、前述の通り、スピード勢力が不足しており、イエローゴッドがHyperion、Gainsborough系を含まないことで、アコニット内のHyperion系はクロスにならず、虎の子のスピード源Fairwayを再現できたことが、この配合のポイントとなる。ただし、イエローゴッド自身のスピード源であるLady JosephineやSundridgeがクロスになれなかったことは、スピード資質面でマイナスとなり、カツトップエースの瞬発力不足は、そこに起因している。
そのかわり、イエローゴッドには不足していたスタミナを、Blenheimの5×4、およびBachelor’s Double(主導のFairwayとはBend Or、Isonomy、Hermitで結合)クロスによって補い、スタミナを備えたFairwayへと能力変換を遂げている。これが、皐月賞、ダービーでの最後の粘りを演出した、血統的要因だったのである。
カツトップエースの血統を、8項目で評価すると以下の通り。
①=□、②=□、③=○、④=○、⑤=□、⑥=□、⑦=□、⑧=□
総合評価=3B級 距離適性=9~12F
カツトップエースは、ダービー制覇の後、屈腱炎を発症し、その後治療をほどこしても復帰を果たせぬまま、現役を引退。種牡馬入りを果たしたものの、これぞという産駒に恵まれず、1990年に韓国に輸出され、翌年生涯を閉じている。
種牡馬として、良績を残せなかった理由は、当時の繁殖牝馬の傾向や、自身の血の配置から、ランダムな配合では、父イエローゴッドよりも、母アコニットの影響が強くなり、産駒はスピード不足になりやすいこと。また、米系のMan o’War系を含まず、その点でも、時代の要請に合わなかったことによる。
この年の春のクラシック戦線では、前年の朝日杯3歳Sを、牝馬のテンモンが制している。そして、皐月賞で1番人気に推されたトドロキヒホウが、トライアルの京成杯で、テンモンの6着に敗れていることから、世代のレベルが低いというのが、一般的な見方であった。そこで、そのトドロキヒホウと、ダービーでカツトップエースとハナ差の接戦を演じたサンエイソロン、そして牝馬テンモンの血統構成を検証してみよう。
■トドロキヒホウ
①=○、②=△、③=○、④=△、⑤=□、⑥=○、⑦=□、⑧=□
総合評価=2B級 距離適性=6~9F
Pharosの4×5・6・6の系列ぐるみを主導にして、少ないクロス馬をまとめたシンプルな構造なので、開花は早い。しかし、Relic内の米系の不備、スタミナの核不足は明らかで、トライアルホースといったところが妥当。皐月賞の1番人気馬としては、いささか頼りない血統構成であった。
■サンエイソロン
①=○、②=□、③=○、④=○、⑤=□、⑥=□、⑦=□、⑧=○
総合評価=3B級 距離適性=9~11F
プリメロ(=Avana)の4×5の系列ぐるみを主導に、父の父Milesianを強調。Gay Crusaderのスタミナアシスト、スピードのThe TetrarchとSundridgeを補い、好バランスの配合馬。ただし、セダンの血の流れが異なり、全体の中で、Blandford系が多数派となれなかったことが、ここ一番というときのレースで決め手不足を招いたものと考えられる。そのかわり、もしも完調の状態で皐月賞に臨んでいれば、カツトップエースに先着しても不思議ではなく、ダービーでも、まさに紙一重の勝敗であった。この世代の春時点では、この馬が配合がもっともよくできていた。
■テンモン
①=○、②=□、③=○、④=○、⑤=□、⑥=□、⑦=○、⑧=○
総合評価=1A級 距離適性=8~12F
Blenheimを主導に、Donatelloを強調、仏系の特殊な血をきめ細かく押さえ、TetratemaもThe Tetrarchを伴い、スピード勢力として能力参加を果たしている。スピード・スタミナ兼備の配合で、実績通り、春の時点では、牡馬を上回る資質の持ち主。ダービーに出走しても、相手がカツトップエースなら、十分に勝負になったであろう。
こうして、サンエイソロンの血統レベルを基準にして、1981年春のクラシック戦線を振り返ってみると、牡馬のレベルは、総体的に低いと言わざるを得ない。その意味では、カツトップエースの二冠制覇も、フロックとは言わないまでも、まさに「幸運の勝利」という表現がぴったりするような気がする。同馬が、入厩前に、開設早々の練成場で鍛えられたこと。練成場といえば、現在では当たり前のことだが、当時としては珍しく、まさに時代を先取りした恩恵にあずかっていたのである。このことが、本来重厚な血を開花させることに役立ったことは間違いない。
そして、入厩後の担当厩務員が、現在の藤沢和調教師であったこと。アンカーを務める大崎騎手が、大型馬や切れ脚を欠く馬を導くことを得意としてことなど、幸運を呼び寄せる血統外要因を、すべて持ち合わせていたのである。
この世代の牡馬陣は、血統構成の総体的レベルは低かったが、秋のセントライト記念で、圧倒的1番人気のサンエイソロンをメジロティターンが破り、オープン馬として頭角を現し、古馬となったモンテファスト(モンテプリンスの全弟)が、春の天皇賞を制覇している。春には間に合わなかった優駿たちが、確かに存在していたのである。