久米裕選定 日本の百名馬

トウメイ

父:シプリアニ 母:トシマンナ 母の父:メイジヒカリ
1966年生/牝/IK評価:2A級
主な勝ち鞍:天皇賞・秋、有馬記念

▸ 分析表

《競走成績》
3~6歳時に31戦16勝。主な勝ち鞍は、京都4歳特別(芝1600m)、マイラーズC(芝1600m)2回、阪急杯(芝1900m)、牝馬東タイ杯(芝1600m)、天皇賞・秋(東京芝3200m)、有馬記念(芝2500m)。

《代表産駒》
テンメイ(天皇賞・秋、芝3200m)

父シプリアニは、1958年イタリア産。1962年輸入(イギリス)。競走成績は、イギリス、アイルランドで、3~5歳時に17戦4勝。5歳時にコロネーションSを勝ったが、ダービーは5着、愛ダービーも6着で、いわゆる一流の馬ではなかった。

しかし、日本に輸入されて、種牡馬として供用されてからは、今回紹介するトウメイを筆頭に、ヒカルイマイ(皐月賞、ダービー)、アチーブスター(桜花賞、ビクトリアC)、タカツバキ(きさらぎ賞)、トドロキムサシ、ファインポート(ともに東京大賞典)など、芝・ダート、短距離・長距離を問わず、活躍馬を輩出している。

ただし、当時は、種牡馬ヒンドスタンの時代で、シプリアニは最初から期待の大きい人気種牡馬ではなかった。むしろ逆で、トウメイなどは、「ネズミのような」と評された小さな馬体から、入厩後の扱いもおそまつで、ほったらかされてホコリをかぶっていたという逸話もある。当然、同馬の後の大活躍など、誰一人として想像していなかったはずである。

BMSのメイヂヒカリは、その父クモハタの代表産駒で、菊花賞、天皇賞、有馬記念を制している。4歳春時点では故障のため、皐月賞、ダービーには出走できなかったが、後の活躍ぶりを見れば、無事なら、シンザン同様三冠馬になることも夢ではなかったといわれるほどの強さであった。
そして、母の母内には、トウルヌソル、シアンモア、クラックマンナンなど、戦前に輸入された日本の代表的種牡馬が名を連ねている。
そうした父母の間に生まれたのが本馬トウメイである。

トウメイと同じ世代の活躍馬たちを、当時の代表レースの勝ち馬で紹介すると、昭和44年ダービー=ダイシンボルガード(父イーグル)、皐月賞=ワイルドモア(父ヒンドスタン)、菊花賞=アカネテンリュウ(父チャイナロック)、桜花賞=ヒデコトブキ(父コダマ)、オークス=シャダイターキン(父ガーサント)など。

種牡馬ランキングでは、
 1) ガーサント
 2) ヒンドスタン
 3) チャイナロック
 4) ネヴァービート
 5) フェリオール

が上位を占め、まさにヨーロッパ系輸入種牡馬全盛の時代であった。

トウメイの血統を見ると、まず位置と系列ぐるみの関係から、主導はBlandfordの6・6×5であることがわかる。次いで影響の強いのがGainsboroughの5×5・5(中間断絶)。この両者は、St.Simon-Galopin、Isonomy、Black Duchessの血を、ほぼ同じ世代で共有しているため、強固に結合しており、それによってまずスタミナの核を形成している。

次いで6代目に位置するDiophon(2000ギニー馬)。さらに同じ6代のOrby(ダービー馬)とSunstar(ダービー馬)は系列ぐるみのクロスになって、スピード勢力を形成している。主導のBlandfordとは、Angelica=St.Simon、Pilgrimageで直結している。
7代目以降も、Rock Sand、Desmond、Polymelusなどをクロスにして、要所をきっちりと押さえ、スピード・スタミナのアシストと、連動態勢をしっかり整えていることがわかる。

当時の日本の競馬は、中長距離レースに重点が置かれていたので、クロス馬の顔ぶれも、現代とは異なり、スタミナ勢が中心になっていた。そうした中にあって、トウメイの血統内で注目すべき点は、Sunstar、Orby、そしてPolymelusといったスピード勢力を、きっちりと確保していたことである。Blandford、Gainsboroughの影響が強いことから、本質的には中長距離タイプと考えられるが、桜花賞2着、マイラーズC優勝などは、まさにこれらのスピードの血が効力を発揮した結果と見て、まず間違いないだろう。

トウメイの血統構成を、8項目評価で採点すると以下のようになる。
  ①=○、②=○、③=◎、④=○、⑤=○、⑥=○、⑦=○、⑧=◎
 評価=2A級、距離適性=8~15F

まさに「女傑」の名にふさわしい、みごとな内容である。ここで、上記 ③の結合度を◎と評価したことについて、説明を加えておきたい。

I理論(IK理論)において、《結合度》ということは、かなり重要な位置を占めている。結合が「強固」と判定するためには、主導が系列ぐるみを形成してから、3~4代以内で共通の祖先を持ち、結合を果たしていることを、判断の目安にしている。当然、間接的な結合よりも、直接的な結合を果たしているほうが望ましく、クロスの遺伝効果も確実と判断できる。

それは、会社やスポーツチームのような、人の「組織」を考えた場合でも、少人数のほうが、多人数よりもまとめやすいことに似ている。指令を出すときも、階層を通じて間接的に伝えるよりも、各人に直接伝えるほうが、正確かつ迅速で、徹底しやすい。血の結合も、それと同じ原理が働いていると考えてよいだろう。

トウメイの血統構成は、そうした連動態勢、結合を血統内で再現しているといえる。
「大胆かつシンプル」それこそが、「女傑」トウメイの強さの秘密なのである。

昭和46年のトウメイの有馬記念制覇は、当時流感が蔓延したため、有力馬(アカネテンリュウ、カミタカ、メジロアサマなど)がリタイアし、6頭立てと少数頭のレースでの勝利であったため、あまり評価されない面があった。しかし、420kgと小柄な馬体でありながら、同年秋(6歳時)の牝馬東タイ杯では59kgを背負って楽勝。続く天皇賞も、東京の芝3200mという距離をものともせず制覇した内容は、有馬記念を抜きにしても、十分に評価されるべきであろう。

その根拠は、まさしくトウメイの血統構成の優秀性にある。そして、その持てる素質を最大限に発揮したのが、2000mを超える距離での天皇賞や有馬記念であったことは、トウメイの配合内容から推測できることである。

トウメイの代表産駒といえば、母と同じ東京の天皇賞(3200m)を制したテンメイ(菊花賞ではプレストウコウの2着)である。テンメイの父ルイスデールは、イタリアダービー馬で、11戦8勝。その父Right Royalも同じく11戦8勝で、仏2000ギニー、キングジョージを制した名馬。そして、母Rossellinaも、イタリア1000ギニー馬で、Ribotの全妹であることから、ルイスデールは超良血種牡馬として、1971年に鳴り物入りで輸入された。

テンメイの分析表は別掲の通りだが、トウメイのときには生きていたBlandford、Orbyがクロスになれず、また父内でも、KantarやKsarが不備となり、両者の相性は完全ではなかった。しかし、Hyperion主導の明確性、そして強調されたOwen Tudorへの血の集合、およびスタミナ確保の状態には、大いに見どころがある。ステイヤーとしての資質の高さは十分に裏づけられているといえよう。

 8項目評価では、
  ①=◎、②=○、③=○、④=□、⑤=○、⑥=○、⑦=□、⑧=□
 評価=1A級、距離適性=10~16F

▸ テンメイの分析表

父母の血統や実績を基準にすれば、決して満足のゆく血統構成とはいえないが、Right Royal、Ribotといった一流のスタミナが、能力形成に加わったことは、他馬には見られない個性であり、天皇賞制覇、菊花賞好走といった長距離実績も、十分に納得できる内容といえるだろう。

昭和46年という年は、私が競馬を始めて1年目であったが、いま思えば、競馬に対する知識も少なく、血統についてもごく一般的な視点での評論に頼るのみであった。トウメイの有馬記念制覇についても、一般評の受け売りでとらえていた。自分の思い入れのある馬を応援して、それを正当化する余り、トウメイの強さを否定的に見ていたのが実状であった。

しかし、I理論(IK理論)で改めてその血統を分析評価してみれば、あのときのトウメイの強さはやはり本物であったと納得させられる。私の競馬史の中で、「女傑」といえば、いまのところ、やはりトウメイが一番である。

 

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