タニノムーティエ
父:ムーティエ 母:タニノチェリ 母の父:ティエポロ
1967年生/牡/IK評価:2A級
主な勝ち鞍:ダービー、皐月賞
タニノムーティエが活躍した1970年といえば、イギリスではNijinskyが無敗で史上15頭目の三冠馬(15年ぶり)となった年。同時に、その父Northern Dancerが英・愛のチャンピオン・サイアーとなり、NijinskyをはじめNorthern Dancerを父とした欧米混合型の配合馬が急速に登場するというように、血統史にも転機が訪れようとしていた。
日本では、大阪万国博覧会が開催されており、競馬も、土曜日のテレビ中継が始まって、大衆レジャーにも変化が見られるようになった。それにタイミングを合わせるように、東のアローエクスプレス、西のタニノムーティエという両雄が登場して、テレビの話題を盛り上げた。東西対決の興味とともに、競馬の大衆化という面でも、ハイセイコーが登場してくるまでは、この両馬が果たした役割は大きい。
アローエクスプレス対タニノムーティエの対決は、フジテレビ賞スプリングS、皐月賞をタニノムーティエが連勝。続くNHK杯では、アローが2馬身1/2ムーティエを抑えて一矢をむくいる。しかし、ダービーでは、ふたたびムーティエが豪快な追い込みを決めて、二冠を達成している。アローは5着に敗れ、春の4歳クラシック路線では、ムーティエの圧勝に終わる。
そのムーティエは、三冠最後の菊花賞をめざして、秋に備えることになるのだが、夏に喘鳴症(=のど鳴り)にかかり、秋初戦の朝日チャレンジCは8着、続く京都杯も6着と敗れ、体力的に3,000mの距離をこなすことは困難とみなされる事態になった。しかし、関係者の努力で、なんとか菊花賞にも出走してきたが、もちろん体調は万全とはいえなかった。ファンは、それを承知の上で、同馬を応援したので、1番人気に支持された。
そうした状況の中でレースを迎えたが、やはりかつての元気・迫力はなかった。しかし、誰もがもはやこれまでと思った3~4コーナーで、タニノムーティエは外からまくりながら先行集団にとりつき、4コーナーでは、あわやというシーンを演じ、場内の声援も最高潮に達した。
結果は11着と敗れたが、「のど鳴り」をかかえながら、最後に見せた脚色には、多くの競馬ファンを感動させるものがあった。競馬はギャンブルではあるが、単にそれだけでなく、スポーツ性、そして人の心を感動させるロマンをも持っていることを、ムーティエはその走りで実証してくれた。そして、このレースをきっかけに、競馬ファンとなった人も少なくないはずである。
《競走成績》
3~4歳時に18戦12勝。主な勝ち鞍は、ダービー(芝2,400m)、皐月賞(芝2,000m)、阪神3歳S(芝1,600m)、きさらぎ賞(芝1,600m)、弥生賞(ダ1,600m)、スプリングS(芝1,800m)など。
《種牡馬成績》
タニノサイアス(京都3歳S、桜花賞4着)、タニノレオ(京都3歳S、菊花賞5着)
父ムーティエは、1958年フランス産で、1966年に種牡馬として日本に輸入。競走成績は7戦3勝で、G1勝ちはなく、ダリュー賞(2,100m)、オカール賞(2,400m)を勝っているように、主に中長距離で実績を残した。日本に来る前、海外に残した産駒に愛1,000ギニー馬Wenduyneがいる。日本では、菊花賞馬のニホンピロムーテー、天皇賞馬のカミノテシオのほか、ホースメンホープ(日経新春杯、中京記念)、レデースポート(京都牝馬特別、オークス3着)などがいるように、個性的なステークスウィナーを出している。
ムーティエの父Sicambreはフランス産で、仏ダービー、パリ大賞典を制した名馬。底力につながるスタミナの伝え手として貢献したが、日本には、ムーティエ以外にも、直仔としてダイアトム、セルティックアッシュ、ファラモンド(カブラヤオーの父)、シーフュリュー(ジョセツの父)などが輸入されている。
ムーティエの母Ballynashは、2勝馬だが、その産駒には、キングジョージを制して日本に種牡馬として輸入されたモンタヴァル(モンタサンの父)などがいる。またこのBallynashは、メジロドーベルの主導勢力を形成しており、Nasrullahの導入と合わせて、日本には意外になじみの深い血である。
ムーティエ自身は、Rabelaisの系列ぐるみを主導に、The Tetrarchのスピードを加えた、バランスのよい配合馬だったが、Nasrullahの血を完全に生かしきれなかったことが、能力の限界を招く要因になっていた。
タニノムーティエの母タニノチェリについては、天皇賞・有馬記念を制したタニノチカラ(父ブランブルー)の母として紹介したが、ウインジェスト(ロングエース、ロングファストの母)とともに、BMSとしてのティエポロ(伊セントレジャー馬)の名を高める役割を果たした。その母シーマンは、ニュージーランド産だが、欧州とくにフランス色が濃い。
そうした父と母との間に生まれたタニノムーティエ。5代以内のクロス馬を見ると、Pharos(=Fairway)の5×4と、Nogaraの5×5がある。両者はともに中間断絶だが、PharosではPolymelusが6代目から、そしてNogara内でもRabelaisが系列ぐるみのクロスを形成し、スピード・スタミナを補給していることがわかる。
PharosとNogaraといえば、Nearcoの父と母でもあり、その血が前面でクロスして強い影響力を示しているということは、タニノムーティエ自身が、Nearcoの影響の強い馬と見てまず間違いはない。スタミナの核は、RabelaisとChaucerによって形成されているが、スピードはThe Tetrarchの6・7×6・7が担っている。それにRoi Herodoの7・8×6・7・8が加わり、影響力を強化。主導とは、Bona Vistaで結合を果たしている。
つまり、ここですでにスタミナの裏づけをもったスピードとしてのThe Tetrarchが再現されている。このようなThe Tetrarchの生かしかたは、当時として珍しく、その意味では先駆的な要素を持った血統構成であった。タニノムーティエが3~4歳時に見せた、古馬のようなレースぶり、追い込みのときに発揮する差し脚の鋭さの血統的根拠は、このThe Tetrarchのスピードによるものと見て、まず間違いない。
そして、父母内に派生したクロス馬が、すべてFairwayの中に結集するという強固な連動態勢が、タニノムーティエの強さの秘密なのである。
この血統構成を、8項目で評価すると以下のようになる。
①=○、②=○、③=◎、④=○、⑤=◎、⑥=○、⑦=○、⑧=○
総合評価=2A級 距離適性=9~12F
歴代のダービー馬の中でも、上位にランクされる血統構成を持つことは確かで、もしものど鳴りがなく、万全の状態で菊花賞に臨むことができたとすれば、おそらく三冠達成を果たしていたはずである。
タニノムーティエは、引退後、アローエクスプレスとともに期待されながら種牡馬生活に入ったが、その成績は、現役時代とは反対に、アローに水をあけられる結果となった。その理由として考えられることは、父の父Sicambreを始め、母タニノチェリ内ティエポロ、シーマンが、いずれもスタミナ優位であったこと。スピードのNasrullahの血を持つものの、当時の繁殖には、まだNearcoが少なかったこと。The Tetrarchのスピードを生かすことのできる繁殖が乏しかったこと。あるいは、ティエポロがイタリアで、シーマンがニュージーランドと、血の傾向が特殊であること。そして、米系への血の対応ができないことなどが、種牡馬としての適応範囲を極めて狭く限定したためと思われる。
タニノムーティエのライバルとして競馬を盛り上げたアローの血統についても触れておこう。ダービー5着という敗戦、あるいはその後の戦績(4戦して勝ちなし)から、同馬は、血統的にGrey Sovereignの血を受け継ぐスパニッシュエクスプレス産駒だけに、距離の壁に泣いたというのが、当時の一般的な見かたであった。しかし、IK理論に照らして分析してみると、必ずしもそうではなかったことが推測できる。
というのも、アローの中で全体をリードしているのが、名馬Hurry On(セントレジャー馬)の仔でアスコット金杯(4,000m)を制したPrecipitationの5×3のクロスであること。そのスタミナを裏づけるBachelor’s Doubleをクロスさせ、スタミナの核を形成している。スピードはMamtaz Mahal-The Tetrarch、Lady Josephine-Sundridgeで、確かにNasrullah、Fair Trialの影響も強くなる。しかし、全体の影響からして、むしろGrey Sovereignは弱くなっているのである。
したがって、アローエクスプレスは、単なる早熟のマイラーというよりも、むしろ中距離のスピード馬と見るべきで、NHK杯で見せた脚が、アローの本来の強さだったと思われる。血統構成としては、決してバランスのとれた形態ではないが、他には見られないたいへん個性的な馬だったいえる。この素質を、もう少しうまく引き出し、きっちりと仕上げてゆけば、ダービーでも、もっといい勝負に持ち込めたはずである。アローの敗戦は、Grey Sovereign系の距離の壁というよりも、調整の難しいタイプの血統構成によると見るのが妥当だろう。
アローエクスプレスの8項目評価は以下の通り。
①=○、②=△、③=□、④=○、⑤=□、⑥=△、⑦=○、⑧=○
総合評価=3B級 距離適性=8~11F
タニノムーティエの同期のライバルといえば、アローエクスプレスの名があがるが、実質的にはむしろダテテンリュウのほうがふさわしいかもしれない。なぜなら、同馬はダービーで2着の後、菊花賞を制し、暮れの有馬記念では勝ったスピードシンボリに対し、古馬のアカネテンリュウとともに鼻づらを揃えて追い込むという実力馬だから。あるいは、後の天皇賞馬になるメジロムサシも同期で、その意味では、この世代には個性派の馬たちが揃っていた。
今回はその中で、ダテテンリュウの血統を簡単に紹介しておこう。父はウィルディール、母は第四サンキスト。父のウィルディールは持ち込み馬で、戦績は22戦9勝、1959年の皐月賞馬。
主な産駒に、ダテホーライ(宝塚記念、毎日杯、日経新春杯、大阪杯、朝日チャレンジC)、ダテハクタカ(阪神大賞典、菊花賞3着)などがいる。
父の父Wilwynは、英国産で、33戦20勝。ワシントンDCなど長距離に実績を持つ。Dark Ronald系という貴重なサイアーラインを受け継ぎ、後にアフリカに輸出される。
ウィルディールは、そうした貴重な血で構成されているが、いかにもスピード要素の少ない血だが、自身はCylleneを中心とした異系交配にすることで、スタミナ系のクロスを前面につくることなく、PolymelusやFriar Marcusのスピードを、うまく再現できたことが、皐月賞制覇に結びついたものと考えられる。
ダテテンリュウは、Blandfordの6×4のクロスがあるが、単一のため、影響力は弱い。それに代わって、Sundridgeの6・7×7、Persimmonの7・8・8×6・9、Carbineの7×5のクロスの影響が強く、そしてBMSトサミドリ内でも6代目からSt.Simonが加わり、スタミナを補給している。父母間の世代、クロス馬の位置・配置の状態から、血の集合や主導の明確性といった面で、必ずしも万全な内容ではない。しかし、弱点・欠陥はなく、St.Simonを中心とした結合の強固さ、およびスタミナという個性を備えていることは十分に読みとれる。
ダテテンリュウの8項目評価は以下の通り。
①=□、②=□、③=◎、④=○、⑤=□、⑥=□、⑦=○、⑧=□
総合評価=3B級 距離適性=10~16F
現代の硬い馬場では、勝ち上がることさえ難しそうな血統構成だが、異系交配の様相を呈した、なかなか妙味のある配合である。しかしながら、残念なことに、このウィルディールの血は、現代ではほとんど見ることができなくなってしまった。