スズパレード
父:ソルティンゴ 母:スズボタン 母の父:ロムルス
1981年生/牡/IK評価:2A級
主な勝ち鞍:宝塚記念
《競走成績》
3~8歳時に25戦12勝。主な勝ち鞍は、宝塚記念(GI・芝2200m)、中山記念(GⅡ・芝1800m)、オールカマー(GⅢ・芝2200m)、ダービー卿チャレンジT(GⅢ・芝1600m)2回、金杯・東(GⅢ・芝2000m)、福島記念(GⅢ・芝2000m)、ラジオたんぱ賞(GⅢ・芝1800m)など。
《種牡馬成績》
1989年から供用。代表産駒は、スカイパレード(南関東・戸塚記念5着)、ウイニングワルツ(南関東)。中央ではこれといった活躍馬は出していない。
父ソルティンゴは、1975年アイルランド産。競走成績は伊・仏で3~5歳時に15戦5勝。5歳時には、日本の社台ファーム、吉田善哉オーナーの服色で走り、ミラノ大賞(2400m)を制している。伊ダービーは2着。
ソルティンゴの父Petingoは、9戦6勝のマイラーだったが、産駒にはTroy(英ダ―ビー、愛ダービー)、イングリッシュプリンス(愛ダービー)などがいて、むしろステイヤーとして実績を残した。
そうしたPetingoの血を受け継ぐ種牡馬として、ソルティンゴは1980年、社台ファームによって輸入された。しかし、外傷が原因で受精能力を失い、種付け期間はわずか1年間だけだった。その1年の産駒の中に、スズパレードがいた。母スズボタンは、19戦4勝。繁殖牝馬としてのズズボタンも、4番仔のスズパレードを出すまでは、これといった産駒実績もなかった。そういう両親から生まれただけに、スズパレ―ドも、血統的には、ほとんど注目されなかった。
しかし、分析表を見ればわかる通り、たいへんすぐれた血統構成の持ち主であった。同馬の血統の中で、もっとも強い影響を示しているのはFair Trial内Fairway。これは系列ぐるみのクロスを形成し、全体をリードする主導勢力になっている。次いで、その母Lady Jurorも、途中は断絶しているものの、Petingo自身のスピ―ド、次いで母内Tudor Minstrelのスピードを、主導に注入する役割を果たしている。ここが、スズパレードのスピード源。3歳時に3連勝することができたのは、おそらくこの血の効果によるものと思われる。
たしかに、ここまででは、スズパレードはPetingo-Fair Trialの血を受け継ぐ早熟タイプの形態に見える。実際、ダービーまでは、4歳時に4戦して4連続4着という成績であり、これが上位との力の差を示すものと思われていた。そして、どちらかといえば、ローカル・平坦向きタイプの馬という評価が一般的になっていた。
しかし、分析表をたんねんに見ていくと、Fair Trial、Tudor Minstrel以外は、父内のHyperionがAlysheba内、Teddy、Apelle、Plucky Liege、Vatoutがスタミナ勢力, 母内でもApelleがRibot内、そしてRabelais 、BlandfordがWild Risk、Vatout、Plucky Liegeが英国ダービー馬Bois Rousselという具合に、すべてスタミナのアシストとして、主導のFairwayに結びつき、スズパレードの能力形成に参加している。
つまり、3歳時の連勝で見せたFair Trialのスピードには、上質のスタミナの裏づけがあり、成長力・底力を秘めたFair Trialへと能力が変換されていることが、分析表上からしっかりと読みとることができる。その意味からすれば、スズパレードの強さは、むしろ6~7歳時に見せたものが本物であり、スピード・スタミナの比率からしても、3歳時のイメージとは逆に「晩成型」といっても過言ではない。
8項目のチェックは以下の通り。
①=○、②=○、③=◎、④=○、⑤=○、⑥=□、⑦=○、⑧=◎
評価=2A級 距離適性=8~12F。
まさしくオープン馬の血統構成ということができる。重賞の実績で見ると、1600m=2勝、1800m=2勝、2000m=2勝、2200m=2勝と、みごとなまでにマイル~中距離に実績を残しているが、配合上からは12Fの距離も克服できるだけのスタミナを持っていたと判断できる。
このように,スズパレードは、一般的には語られることの少ない血統だが、理論上はじつにすぐれた血統構成だったのである。
ところが、このような「配合の妙」を備えたスズパレードも、その競走生活においては、常に脚部不安との闘いの連続であった(裏スジ、中スジ、骨瘤、捻挫など、「骨折以外の職業病はほとんどすべて経験した」といわれるほど)。
そうした故障がちで、しかも一般的な血統評価の高くない馬を8歳まで管理し、その素質を開花させた厩舎、調教師(富田六郎師)の手腕も忘れてはならない。とくに最後の重賞オールカマーを制覇したときは、すでに8歳の高齢、しかも1年3カ月の休養明けの快挙であった。ランニングフリー、ミスターブランディ、マックスビューティ、地方代表馬のリュウコウキングなどの強敵を抑え、しかもレコード(新潟・芝2200m=2分12秒3)勝ちというおまけまでつけたのである。
この時、富田師は、入院中にもかかわらず、同馬の調教過程をタイムで確認していたという。最終追いの指示を、病院から電話で行なったというようなエピソードも伝えられている。そして、五十嵐先生も、そうしたプロセスを最後まで見届けた上で、富田師の調教師としての技量を高く評価されていた。
スズパレードの血は、ヨーロッパ主体に構成されていた。自身の実績以上に、その内容はスタミナ勢力が強いこともあり、現代の血の趨勢であるスピード化の波には乗りにくかったことも事実である。私は、I理論(IK理論)を勉強している初期の時期に、スズパレードの初年度産駒の血統を調べた経験がある(出産前の段階で)。その結果、大半の産駒は、「1B~C級」という評価であった。
そして、種牡馬スズパレードに、ランダムに牝馬を配したのでは、まず実績を残せないまま終わる可能性が高いことが予測できた(残念ながら、その予測は現実のものになってしまったが)。
その中にあって、数少ない優秀な配合馬として発見したのが、以下に分析表を掲載した牝馬のウイニングワルツ。結果は、南関東公営で条件クラスの実績しか残すことができなかったが、種牡馬録の中で、スズパレードの代表産駒として名を残したことは、いささか複雑な心境である。
《参考データ──スズパレードの競走時代の主な活躍馬と種牡馬リーディング》
シンボリルドルフ(父パーソロン)
皐月賞、日本ダービー、菊花賞
ギャロップダイナ(父ノーザンテースト)
天皇賞・秋
フレッシュボイス(父フィリップオブスペイン)
安田記念
ニッポーテイオー(父リイフォー)
宝塚記念(スズパーレードが勝って、ニッポーテイ オーが2着)
ダイナガリバー(父ノーザンテースト)
有馬記念(1986年)
オグリキャップ(父ダンシングキャップ)
有馬記念(1988年)
1980年リーディングサイヤー
①テスコボーイ(Princely Gift系)
②アローエクスプレス(Grey Sovereign系)
③ミンスキー
④バーバー(Princely Gift系)
⑤ファバージ(Princely Gift系)
⑥リマンド
⑦パーソロン
⑧ドン(Grey Sovereign系)
⑨サンシー
⑩ダイコーター
上記のリーディングサイヤーランクをみれば明らかなように、Princely Gift系、Grey Sovereign系などのスピード系種牡馬が確実に上位を占める時代であった。この後、ノーザンテースト、トウショウボーイの時代となっていくのである。