ニットエイト
父:ガーサント 母:トモサン 母の父:シーマー
1964年生/牡/IK評価:3B級
主な勝ち鞍:菊花賞、天皇賞
ニットエイトは、北海道胆振の飯原牧場の生産馬。当歳時から、下痢でいつも尻尾を汚していたため、尻尾を切り落とされ、不格好な馬だった。そのため、静内のセリでも、一声もかからなかったというエピソードの持ち主。デビューは、2歳の11月で、新馬勝ちを果たしている。その後、ソエを発症したために、クラシック戦線には乗ることができなかった。3歳夏の函館でキーストンを破り、秋のセントライト記念でもモンタサンの2着となって、菊花賞に駒を進めた。
その菊花賞は、同年のダービー馬アサデンコウは骨折してすでにリタイヤしており、復調したと思われたモンタサンも体調不良で出走を断念。同年皐月賞馬のリュウズキは、ダービーでの5着敗退から、距離不安がささやかれていた。そのため、短波賞を制したムネヒサが1番人気に支持された。
ニットエイトは、当時スピード系と称されたシーマーが母の父であることや、春の実績不足から、9番人気と低評価であった。しかし、レースは同厩のリュウズキが最後の直線で先頭に立ったところを、ニットエイトが外から差しきり、1馬身1/2の差をつけて優勝。1番人気のムネヒサは、追い込んだものの、脚色はにぶく、3着に敗れた。
その後ニットエイトは、コンスタントに良績を残すことはできなかったが、仕上がったときの「ここ一番」では、爆発的な差し脚を発揮した。4歳時の天皇賞(芝3,200m)では、6番人気という評価をくつがえし、1番人気のフィニイを破り、3分20秒3のレコードタイムで快勝している。
父ガーサントは、気ムラな産駒を輩出する種牡馬という評価が強かったが、ニットエイトも、まさに父の気質を受け継いだ産駒であった。
《競走成績》
2~5歳まで走り、36戦戦8勝。主な勝ち鞍は、菊花賞(芝3000m)、天皇賞(芝3200m)、巴賞(芝1800m)など。
《種牡馬成績》
1970年、九州宮崎で種牡馬として供用されたが、これといった産駒にめぐまれず、1976年に死亡。
父ガーサントは、1949年フランス産で、仏2000ギニー(1600m)、ガネー賞(2000m)など、主にマイルから中距離で実績を残し、14戦8勝。アイルランドで種牡馬となり、Barclay(愛セントレジャー)、Guersillus(ニューマーケットS)などを出した。日本へは、1961年、社台ファームが輸入し、供用した。代表産駒は、ニットエイトの他、ヒロヨシ(オークス)、コウユウ(桜花賞)、シャダイターキン(オークス)など、多くのステークスウィナーを輩出している。ダイナカール(父ノーザンテーストの母の父としても実績を残し、そのダイナカールからはエアグルーヴ(父トニービン)が出て、そのエアグルーヴからはアドマイヤグルーヴ(父サンデーサイレンス)が出るといった具合に、社台ファームの牝系に、脈々とその血を伝えている。
ガーサント自身の血統は、Sans Souci Ⅱ(パリ大賞典、リュパン賞、ダリュー賞を連覇)の3×5を呼び水に、Isinglass(英三冠馬で12戦11勝)の4×6の系列ぐるみを主導として、La Farinaを強調した形態。実質的には異系バランスを保ち、フランス産馬らしい洒落た血統構成の持ち主であった。
8項目で評価すると以下のようになる。
①=□、②=□、③=○、④=○、⑤=□、⑥=○、⑦=○、⑧=○
総合評価=1A級 距離適性=8~11F
当時の輸入種牡馬としては、スピード・スタミナのバランスのとれた配合内容を示し、社台ファームの成功にはなくてはならない種牡馬であったことが裏づけられる。
母トモサンは1勝馬で、母系は、明治40年に小岩井牧場が輸入したプロポンチスの系統だが、当時としては評価が低く、構成されている血も、一般的に注目されるような内容ではなかった。ただし、理論上では、St.Simonの血が24個、Galopinも32個あって、土台構造がしっかりとしており、血の片寄りもない。スピードはTetratema-The Tetrarch、スタミナはBlandfordで確保して、さらに米系のMan o’Warも含んでいるといった、キラリと光る部分を持っていたことも事実。そうした父母の間に生れたのがニットエイトである。
まず、5代以内のクロス馬を見ると、Tetratemaの4×4、Blandfordの4×5がある。この2つは、ともに単一クロスなので影響力は弱く、主導勢力にはなりえない。とは言うものの、Tetratema内には、La Sancy、Bona Vista、St.Simon、Hamptonなど、スピード・スタミナのキーホースが押さえられている。また、Blandfordも、Gallinule、Isonomy、Hermit、Galopinなど、スタミナ要素がきっちりとクロスしている。したがって、TetratemaとBlandfordは、単一クロスといっても、能力形成に役立つ状態になっている。
位置と系列ぐるみの関係から、主導はPrety Pollyの6×7と、Desmondの6×7・8の系列ぐるみで、両者は、Hermitを共有することで連動態勢を整えている。Desmondは、St.SimonとHermitによって、前記のTetratemaとBlandford内の血を結びつける役割を果たしている。Prety Pollyは、Gallinule-Isonomyによって、Blandford内の血と結合する。それ以外の、Samctimonyの5×7、Marcoの5×7も、St.Simon、Hermitで、主導勢力と結合を果たし、スピード・スタミナを供給し、能力形成に参加し、ガーサントの持つ質の高い血を引き出すことに成功している。
8項目に照らすと以下の通り。
①=□、②=△、③=○、④=□、⑤=□、⑥=○、⑦=□、⑧=○
総合評価=3B級 距離適性=10~15F
以上がニットエイトの配合評価だが、同馬の能力形成には、他馬には見られない部分がある。それは、牝馬のPrety Pollyが系列ぐるみとなり、主導勢力を形成していること。そこで、すこしこのPrety Pollyの血統と戦績について、解説を加えておきたい。
Prety Pollyは、その牝系や父の競走実績などからも、一般的には注目されるような血統ではなかった。そのPrety Pollyが生産されるきっかけは、アイルランド牧場主兼馬主のローダー氏が、その母(Admiration)の馬体を気に入り、2歳のセリで購入したときに始まる。Admirationの競走成績は1勝で終わってしまったが、繁殖として期待し、Gallinule、Isinglass、Desmond、Spearmintらと交配した。13年間種付けをして、不受胎は1度もなく、Prety Pollyはその4番仔に当たる。ちなみに、生れた瞬間、その輝くばかりの栃栗毛に魅せられたオーナーは、「麗しのポリー」と名づけた。
その期待に応え、2歳でデビューしたPrety Pollyは、1番人気のJohn o’Gaunt(Swynfordの父)をまったく相手にせず、5Fの距離で、2着馬に40馬身差をつけて逃げきり勝ち。1,000ギニー(8F)、オークス(12F)の牝馬レースだけでなく、セントレジャー(14.5F)、コロネーションC(12F、2回)、ジョッキークラブGC(18F)までも制し、24戦22勝の戦績を残した。距離の長短を問わず、ほとんど無敵のレースを続けた。
その血統構成も、Stockwellの4・5×5・5を呼び水に、Touchstone、Birdcatcherを主導に、弱点・欠陥の派生はなく、クロス馬相互間の結合がスムーズに行われている。レース体系、その他現代の馬との比較から、スピード・スタミナ比率の割り出しが正確とは言えないかもしれないが、理論上は、8項目をすべて○でクリアーし、古典的Aランクとの評価を十分にくだせるだけの内容を確保している。
つまり、理論上、競走成績、血統構成とも、主導勢力として機能する資格を十分に持っていると、結論づけることができる。ただし、ニットエイト自身の結合の要であるSt.Simonの血を、このPrety Pollyが含んでいなかったことは、能力を形成する上で、必ずしもベストとは言えず、それが、気性以外の面でも、ニットエイトがコンスタントに良績を残せなかった要因と推測できる。それで言えば、Prety Pollyが、Hermitを通じてSt.Simonの直仔Desmondと連動できたことは、他系統との結合面でプラスとなり、ムラとはいえ、好調期の爆発的な差し脚は、Prety Pollyの後押しがあったことは間違いないだろう。
ちなみに、菊花賞でニットエイトが差しきったリュウズキには、主導をアシストする血として、John o’Gauntの血が、5代目でクロスしている。John o’Gauntと言えば、Prety Pollyがデビュー戦で打ち負かした1番人気の馬である。これも、血統の何かの因縁かもしれない。
繁殖としてのPrety Pollyは、期待に反して、これといった産駒にめぐまれなかった。その理由としては、前述したように、以後浸透していくSt.Simonの血を含んでいなかったことが、1つの要因と考えられる。しかし、そのSt.Simonの直仔Desmondとの交配で生産されたMolly Desmond(ガーサントの母系)により、St.Simonを取り入れたことで、再び運命が変わってきた。そのMolly DesmondからSarita→Sister Sarah→Lady Angelaと続き、そのLady AngelaがNearcticを出す。そしてさらに、NearcticからNorthern Dancerが出ているのである。
つまり、世界でもっとも浸透している父系の影に、このPrety Pollyが存在している。ということは、言いかたを変えれば、現代の競走馬にもっとも多く浸透し、広がりを見せている牝系と表現してもよいだろう。Prety Pollyは、当時の血統的な評価からは、まさかここまで強くなるとは、誰もが想像していなかったため、2,000ギニー、ダービーへの登録はなく、ふつうに1,000ギニー、オークスと、牝馬路線を歩んだ。しかし、3歳最後のセントレジャーにおいて、同年の2,000ギニーとダービーを制しているSt.Amonを軽く一蹴したことで、もしも両レースに出走していれば、牝馬による初の五冠達成も十分に可能だったと評されていた。それが「幻の五冠馬」と言われるゆえんである。
最後に、皐月賞を制し、菊花賞でニットエイトの2着に敗れているリュウズキの血統構成について、簡単に触れておきたい。
英セントレジャー、エクリプスSなど7勝をあげたTraceryの5×6の系列ぐるみを主導として、Sundridgeの裏づけを持つBuchan、およびOrmeのスピードを加え、John o’Gaunt、Gallinuleのスタミナのアシストがなされ、血の統一性に欠ける父の血を、うまくまとめることに成功している。
8項目に照らすと、以下のようになる。
①=○、②=○、③=○、④=○、⑤=○、⑥=□、⑦=□、⑧=○
評価=1A級 距離適性=8~11F
35戦14勝で、4歳時に有馬記念を制しているように、スピード・スタミナのバランスはよいが、上質のスタミナの核となると、ニットエイトに劣る。それが菊花賞敗戦の血統的要因と考えられる。