ホクトベガ
父:ナグルスキー 母:タケノファルコン 母の父:フィリップオブスペイン
1990年生/牝/IK評価:3B級
主な勝ち鞍:G1エリザベス女王杯、G2フェブラリーS、帝王賞、川崎記念・2回
ホクトベガのデビューは、1993年(平成5年)の1月。2番人気だったが、2着馬に9馬身差をつけて、ダート1200mを、1分12秒5のタイムで逃げ切り勝ち。2戦目は2着だったが、3戦目のダート特別を圧勝すると、初芝の重賞フラワーCも難なく制し、桜花賞に向かった。しかし、本番の桜花賞では、ベガの5着に敗れる。続くオークスでも、ベガの6着に敗退し、芝では上位馬たちに、スピードの差を見せつけられていた。
秋になり、クイーンSを2着(1着=ユキノビジン)と善戦したが、詰めの甘さを露呈し、秋のG1エリザベス女王杯は、18頭立ての9番人気と評価を下げた。レースは、ケイウーマンの逃げで、よどみのないペースで展開する。そのため、好位を追走した人気のスターバレリーナ、ユキノビジンなどは、4コーナーで一杯に。中団に控えていたベガ、ノースフライトが粘るところを、直線勝負に賭けていたホクトベガが、並ぶ間もなく交わして、先頭でゴールを駆け抜けた。2分24秒9のレースレコード。「ベガはベガでもホクトベガ」という実況アナウンサーの名セリフをおまけに、女王の座についた。
本来ならば、ここで次年度に備えて休養に入るというのが普通のパターンなのだが、ホクトベガの場合は、これ以降が他馬と異なるところ。12月のターコイズS(3着)、1月の平安S(10着)、2月の中山牝馬S(4着)、4月の京王S(5着)と休みなく使われ、その後夏の札幌日経オープン、札幌記念を連勝してしまった。
それでも休まず、さらに走り続け、さすがに疲れがたまったためか、その後の9戦は、勝ち星に恵まれなかった。途中、障害転向も検討され、実際に障害の練習もしていた。しかし、かえってそのために、トモの筋肉の発達や集中力の強化につながったらしい。そして、地方交流競走に出走した第1戦、エンプレス杯(G1、ダート2000m)では、2着馬に18馬身という大差をつけて圧勝している。ホクトベガの新たな道が開かれたのである。そのエンプレス杯を皮切りに、交流レースでは、翌96年1月の川崎記念、2月の中央フェブラリーS、3月船橋のダイオライト記念から、97年の川崎記念まで、ダート街道を10連勝。
いつの間にか、「砂の女王」の称号がつけられ、それこそ日本全国の競馬場を休みなく走り続け、交流競走の名を広めることに貢献した。そして、最後は、異国の地ドバイWCという晴の舞台に挑んだが、他馬と接触して競走を中止、予後不良となって、競走生命を終えた。変わった形ではあったが、ホクトベガが、競馬発展のために尽くした名牝の1頭であることには、誰も異論はないだろう。
《競走成績》
3~7歳時に、42戦16勝。主な勝ち鞍は、中央では、エリザベス女王杯(G1・芝2400m)、フラワーC(G3・芝1800m)、札幌記念(G3・芝2000m)、フェブラリーS(G2・ダ1600m)。交流競走は、エンプレス杯・2000m2回、川崎記念・2000m2回、ダイオライト記念2400m、群馬記念1500m、帝王賞2000m、南部杯1600m、浦和記念2000m)など。
父ナグルスキーは、カナダ産で、2~4歳時にアメリカ・カナダで走り、32戦7勝。G1勝ちはないが、芝8~10Fで実績を残し、4歳時にはカナダ芝チャンピオンに選出された。1985年に、種牡馬として日本に輸入。産駒は、ホクトベガの他に、最優秀ダート馬に選出されたナリタハヤブサ、ブレスレットなど。
ナグルスキー自身の配合は、その母Deceit(米11勝)が、Nasrullah-Nearco、Hyperion-Gainsborough、Blandford、Teddyなど、現代の主流の血を含まないことから、一風変わった形態を保っていた。主導勢力の明確性を欠き、いわゆる一流馬の内容とはいえないが、St.Simon-Galopin、Bend Orなどで土台構造を形成し、弱点・欠陥の派生もなく、無難にまとめられていることが特徴。とはいうものの、当時の日本の繁殖牝馬の持つ血の傾向と異なることは確かで、ナグルスキー自身と同じ、芝向きの産駒が極めて少なかったのは、そのためである。
ナグルスキーの血統構成を、8項目で評価すると以下のようになる。
①=△、②=□、③=□、④=○、⑤=□、⑥=△、⑦=□、⑧=□
総合評価=2B級 距離適性=~9F~
母タケノファルコンは、JRAで6戦2勝。祖母のクールフェアは未出走で、近親にはこれといった活躍馬は出ていない。とはいえ、母系にはNasrullahの全妹であるRivazが含まれ、現代の競走馬のスピード源となっているMumtaz Mahalとは同ファミリーにあたる。そして、タケノファルコン自身の血統構成も、Nearcoを主導に、Lady Juror、The Tetrarch、Orbyといったスピード系を再現している。それこそ、血統構成だけならば、芝のマイル重賞を制したとしても不思議のないレベルは保たれていた。8項目評価は、以下の通り。
①=□、②=□、③=○、④=□、⑤=□、⑥=○、⑦=○、⑧=□
総合評価=3B級 距離適性=8~10F
タケノファルコンは、牧場時代に転倒したことがあり、デビュー後も、ヒザが悪いために、芝のレースを使われることはなかった。それが、大成をはばんだ理由だったかもしれない。
そうした父母の血の流れを受けて誕生したのがホクトベガである。同馬の血統構成では、まず前面でクロスしている血は、Nearcoの5×6・6・7・7の系列ぐるみと、Menowの5×6の系列ぐるみで、両者はPhalarisで結合を果たし、主導勢力として連動態勢を整えている。これに、Hyperionの6×6の系列ぐるみが、Selene、St.Simonで主導と結合、Bull Dogの6×7の系列ぐるみも、Ajax、Spearmintなどで結合している。
また、本来は結合が弱くなりやすいBlack Toneyが系列ぐるみを形成し、Commandoによって、主導のMenowと結合。Papyrusも系列ぐるみとなり、Rock SandでMan o’War系と結合。さらに、SainfoinやSt.Simonによって、Nearcoとも結合。少し間接的だが、当時としては、欧米系の血が比較的うまくまとめられている。このことが、芝・ダート兼用のスピードに結びついたと考えられる。8項目に照らすと、以下のような評価になる。
①=○、②=○、③=□、④=□、⑤=○、⑥=□、⑦=□、⑧=○
総合評価=3B級 距離適性=6~10F
ナグルスキーの母内Double Jayの生かしかたと、血の質に難があることと、タケノファルコン内欧州系のOrby、Hurry On、のスピード・スタミナが欠落したことが、芝の上位スピードレースにおける詰めの甘さの要因だったと思われる。とはいうものの、もう少しリフレッシュ休養などをはさみ、余裕のあるローテーションで、目標を定めた芝レースに向けて仕上げれば、十分に良績を残せるだけの資質を備えた血統構成であったことは、間違いない。
ホクトベガは、種牡馬としては難しい構造の父ナグルスキーに対し、母タケノファルコンがうまく呼応した配合の成果であったことは、前述の通りである。そこで、その妙味を確認するために、父ナグルスキー産駒で良績を残したナリタハヤブサ、およびタケノファルコン産駒で1勝をあげた半姉キャスティングの配合について、簡単に触れ、両者を比較してみよう。
■ナリタハヤブサ
Nearcoの5×5は中間断絶のため、影響力はやや弱く、そのかわりTeddyの7×5、Plucky Liegeの7×5、次いでGainsborough、Blandford系などが、母内で強い影響力を示している。主導の明確性は失われ、ホクトベガのように、ナグルスキー内での血の連動態勢も確認できない。ただし、母内に弱点・欠陥の派生はなく、ダイハードやヒンドスタンのスタミナのキーホースは押さえられている。これが、ダート対応のパワーに結びついたものと考えられる。
①=△、②=□、③=□、④=○、⑤=□、⑥=△、⑦=□、⑧=□
総合評価=2B級 距離適性=9~11F
ホクトベガのようなスピード・スタミナと、全体のバランスを保つことができなかったことが確認できる。
■キャスティングガール
父ノーザンテースト、母タケノファルコン。
ノーザンテーストは、Lady Angelaの2×3のクロスを持つため、その父のHyperionがクロスになると、必然的に近親度が強くなる。当馬もそのパターンで、影響力数値が示す通り⑫⑪③①で、圧倒的にノーザンデーストの影響力が強い。またテースト内の米系に呼応できるシルバーシャークが後退して、Fair Playクロスの効果も信頼性を欠き、テースト内米系の連動もいまひとつ。
①=□、②=△、③=□、④=□、⑤=△、⑥=□、⑦=□、⑧=△
総合評価=1B級 距離適性=6~9F
一般には良血と評価されたノーザンデーストだが、母タケノファルコンとの間では、世代をはじめ、全体のバランスが崩れ、せっかくの母のよさを半減させている。
以上2頭の比較から、ホクトベガの配合が、いかに父母の特徴を生かし、フィットした内容であったかが、確認できると思う。
最後に、ホクトベガと交流レースで戦った公営馬、あるいは中央馬の血統構成レベルについて、少々触れておきたい。ホクトベガの時代は、フェブラリーSの格付けがG2であったように、JCダートもまだ創設されておらず、その意味では、まだダート路線が確立していなかった。そのために、中央から交流レースに参戦する馬も、現代とは異なって、レベルは低く、当時ホクトベガにもっとも肉薄した存在は、キョウトシチーであった。そのキョウトシチーは、ダート向きの2B級という評価。つぎに公営馬に目を向けると、羽田杯、京浜杯などを制したスペクタクル、あるいは公営重賞競走で常に安定した成績を残していたコンサートボーイらの名が対戦相手の中に見られる。
■スペクタクル
①=○、②=□、③=△、④=□、⑤=○、⑥=□、⑦=□、⑧=□
総合評価=2B級 距離適性=ダ8~10F
■コンサートボーイ
①=○、②=□、③=□、④=△、⑤=□、⑥=○、⑦=□、⑧=□
総合評価=2B級 距離適性=ダ6~10F
ともに、Nasrullahを主導としたシンプルな構造の持ち主で、全体のバランスは整っている。しかし、米系に不備を抱え、スタミナの核を欠くことから、中央のレベルでは、1000万クラスが目安となる血統構成である。ということは、配合上の判断からは、交流レースにおけるホクトベガの勝利は、対戦相手に恵まれていたことは確かである。とはいえ、サラブレッドにとって、調子の波が少なく、常に安定した走りを見せられること、連続してレース出走できる体調を維持できることは、重要な能力・資質である。その意味でいえば、やはり、ホクトベガの交流レースにおける連勝記録は、価値の高い実績であり、血統構成の優秀性の証明ともいえるだろう。