久米裕選定 日本の百名馬

コーネルランサー

父:セダン 母:エオス 母の父:ブッフラー
1971年生/牡/IK評価:2A級
主な勝ち鞍:ダービー

▸ 分析表

コーネルランサーのデビューは、1973年(昭和48年)7月の福島競馬・新馬戦芝1000mで、結果は3着。2戦目も3着で、未勝利脱出は3戦目だった。430㎏台という小さな馬格と、ローカルデビューということもあり、クラシック戦線への期待度・注目度は低かった。

しかし、2歳の暮れのひいらぎ賞(芝1600m)で、良血との評価の高かったスルガスンプジョウを差しきり、レコードタイム(1分34秒6)で勝利したあたりから、この馬を見る周囲の目も変わり始めてきた。

年が明けて、京成杯(1600m)を2着し、弥生賞も3着と堅実性を示し、皐月賞へと駒を進めた。この年は、関東のエースと目されていたカーネルシンボリが故障リタイアしたのに対し、関西からキタノカチドキが無敗で参戦してきた。同馬は、単枠指定の第1号となり、圧倒的支持を得ていた。そして、その人気に応え、皐月賞は、キタノカチドキが圧勝した。コーネルランサーは、4番人気ながら、2着と健闘。

そして本番のダービーを迎える。ここでもキタノカチドキが単枠指定を受け、前年のハイセイコーとまではいかないまでも、圧倒的な支持を受けた。コーネルランサーも、その堅実性が評価されて、2番人気に。上り馬として、前年のタケホープ的な存在感を漂わせていたナスノカゲが3番人気と続く。

レースは、ニシキエースとランドグレースの先導で進められ、よどみない流れの中、コーネルランサーは好位の4~5番手を追走し、キタノカチドキはそれを見るように7~8番手。皐月賞の教訓から、キタノカチドキよりも前で競馬することを考えていたという鞍上の中島騎手は、直線に向くと、早めにスパートする。そして、インターグッドとの叩き合いのデッドヒートを、ハナ差押さえて、コーネルランサーが優勝した。3着のキタノカチドキには、1馬身の差をつけて、皐月賞の雪辱を遂げた。

しかし、コーネルランサーは、その後菊花賞に向けて調整されたが、トライアル前に脚部不安を発症し、再起の目処が立たないまま引退し、種牡馬生活に入った。

《競走成績》
2~3歳時に走り、11戦4勝。主な勝ち鞍は、日本ダービー(芝2400m)、ひいらぎ賞(芝1600m)。他に2着2回、3着5回。4着以下なしという堅実無比の成績を残した。

《種牡馬成績》
父セダンの血の伝え手として、種牡馬入りを果たしたものの、これといった相手に恵まれず、軽種馬農協三石種馬場供用の後、韓国に輸出された。

父セダンは、イタリア産で、20戦13勝。伊ダービー(芝2400m)、ミラノ大賞典(芝3000m)イタリー大賞典(芝2400m)、ジョッキークラブ大賞典(芝2400m)などを制し、ステイヤーとして活躍した。昭和39年に日本に輸入される。

主な産駒は、本馬の他に、個性的な逃げ馬として活躍したトーヨーアサヒ(ダイヤモンドS、ステイヤーズS、アルゼンチンJCC、日本経済賞)、ハクエイホウ(クモハタ記念)、ハーバーヤング(金杯、毎日王冠、クモハタ記念)、ヤシマライデン(東京4歳S、京成杯)、マツセダン(アルゼンチンJCC、福島大賞典、七夕賞)、アイフル(天皇賞)、公営ではフジプリンス(東京ダービー、羽田杯、東京大賞典)など。

セダン自身は、Persimmonの5×6の系列ぐるみを主導に、Bay RonaldとSt.Serfのスピード・スタミナを加えた好バランスの完全異系の血統構成の持ち主。スピード面にやや弱さはあるものの、St.Simonの血を23個、Galopinを34個持つ土台構造は、まさに磐石で、長距離における実績は、このスタミナが引き出された結果といえる。まさにイタリアの一流馬にふさわしい内容を持っていた。

これを、8項目に照らして評価すると、以下のようになる。
 ①=○、②=○、③=◎、④=○、⑤=◎、⑥=○、⑦=○、⑧=○
 総合評価=2A級 距離適性=10~15F

▸ セダン分析表

母エオスは4勝。京都記念、阪神大賞典などを制し、46戦14勝の戦績を残して種牡馬入りしたヘリオス(イナボレスの父)の全妹に当たる。自身の配合は、Gainsboroughの6×4の系列ぐるみを主導に、Hyperionを強調した形態。Swynford、St.Serf、William the Third、Rock Sandのスタミナに、Cyllene、Sundridgeのスピードを加えた血統構成で、兄の実績が示す通り、好バランスの内容の持ち主。祖母内Buntingの弱点派生や、血の統一性に欠けたことはマイナスだが、現代にも通用する血の質を保っていたことが読み取れる。

8項目評価は以下の通り。
 ①=○、②=□、③=○、④=△、⑤=□、⑥=△、⑦=○、⑧=○
 総合評価=3B級 距離適性=10~15F

▸ エオス分析表

こうした両親のもとに生れたのがコーネルランサーだが、その血統を見ると、前面でクロスしている血は、まずPrince Roseの3×4。この血は単一クロスのため、影響力はやや弱いが、他に5代以内同士のクロスはなく、位置と系列ぐるみの関係から、その中に含まれているBayardoの6×6・7・8が主導を形成しいる。次いで、父セダン自身が主導としていたPersimmonが6・7×7で系列ぐるみとなり、Galopin、Hamptonによって、主導のBayardoと結合を果たして、スタミナを供給している。その他にも、隠し味的なスタミナとしてWilliam the Third、Dark Ronaldが、Galopin、Bay Ronaldによって主導と結合し、能力参加を果たしている。

それに対して、スピードは、The Tetrarchの6×6が、Bend OrあるいはWar Danceによって、Prince Rose内に注入されている。2,000ギニー馬のGorgosの6×7も、HamptonとGalopinによって結合し、スピード勢力として能力参加を果たしている。その他の派生しているクロス馬も、St.Simon-Galopin、あるいはBay Ronald、Hamptonによって、Prince Rose内の血と連動を果たしている。それによって、スピード・スタミナ兼備のPrince Roseへと、能力変換を遂げていることが、はっきりと読み取れる。

以上を8項目で評価するとつぎの通り。
 ①=○、②=○、③=◎、④=○、⑤=◎、⑥=○、⑦=○、⑧=○
 総合評価=2A級 距離適性=9~12F
 影響度も、⑧②③②と、絶妙のバランスが保たれている。

コーネルランサーは、ダービー以外に大レースの優勝実績を残せないまま、脚部不安のために引退を余儀なくされた。そして、種牡馬成績の極端な不振から、ダービー制覇も、一世一代の大駆けではあったが、フロック視される向きもあった。

しかし、IK理論の立場から評価すれば、血統構成の優秀性は、日本の歴代ダービー馬の中でも、上位にランクされる。まさに古典的名馬のそれを持っていた。華やかなキタノカチドキの陰に隠れた存在に終始し、ダービー馬としては史上最軽量の430㎏という小兵ではあった。しかし、その勝利は決してフロックなどではなく、配合によってさずかった能力をみごとに開花させた結果の勝利であったことは、明らかである。

ちなみに、コーネルランサーの主戦であった中島啓之騎手は、デビュー前のインターグッドに調教で騎乗し、その時の感触がすばらしかったことから、「来年のダービーはこの馬」と語っていたという。中島騎手がそういう内輪話を口にしたことは、後にも先にもこのときだけというから、インターグッドの潜在能力の高さを、よほど高く評価していたのだろう。

インターグッドは、中島騎手の所属厩舎の馬ではなかったので、騎乗することはできなかったが、コーネルランサーについても、皐月賞で善戦できそうな感触を得ていた。そして、人気のキタノカチドキを負かすためには、コーネルランサーが他の馬と馬体を合わせると闘志を燃やすという性格を生かそうと、秘策を練っていた。途中順調さを欠いていたが、インターグッドがもし復調してくれば、その作戦に利用できるのではないか……。

そして、レースでは、それがピタリと当てはまり、内側に切れ込んでいったキタノカチドキに対し、コーネルランサーとインターグッドは、馬場の中央で馬体を合わせながら進出。両馬は、ダービー史に残るようなデッドヒートを演じたのである。中島騎手の描いた秘策を、その通りの結果を引き出すだけの能力を宿していた馬、それがコーネルランサーだったのである。

《参考》
■キタノカチドキ
 ①=○、②=□、③=◎、④=○、⑤=□、⑥=□、⑦=○、⑧=○
 総合評価=1A級 距離適性=8~11F

▸キタノカチドキ分析表

■インターグッド
 ①=○、②=□、③=◎、④=□、⑤=○、⑥=△、⑦=□、⑧=○
 総合評価=3B級 距離適性=9~11F

▸インターグッド分析表

最後に、種牡馬としてのコーネルランサーにつても触れておこう。同馬は、430㎏という小柄な馬体ということもあり、種牡馬としてはそれほど期待されず、繁殖牝馬にも恵まれなかった。そのために、これといった実績を残せないまま、韓国に輸出された。

しかし、配合レベルだけでなく、構成されている血の内容は、Prince Rose系を始め、Teddy、米系のFair Play、Peter Pan、そしてサンデーサイレンス内でも効果を発揮していたKhaledなど、現代に通用するスピード・スタミナを内包しているものであった。それだけに、もう少し大事に国内で供用されていれば、と惜しまれる種牡馬であった。

 

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